ちょっと節穴

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続『大豆田とわ子と三人の元夫』第10話 ネタバレ感想

余韻のすごい残るドラマだったなぁ。

 

坂元裕二さんは『カルテット』が大好きで、『まめ夫』は最初観たときは「面白いけど『カルテット』の方がやっぱ好きだなぁ」と思っていました。

 

でも最終回まで観て「ひょっとしてなんかものすごいものを観てしまったのでは? 『カルテット』よりも完成度の高いものを観てしまったのでは……? なんか、すごく今までになかったものを観てしまったのでは?」という気分になっています。

 

小鳥遊が時間なんて存在しないって話をしてましたけど、このドラマの作りがそんな感じになってますよね。きのう書いた感想に「描写に次ぐ描写で脈絡のない日常シーンを切り取ったみたい」というようなことを書きましたが、それって小鳥遊の時間の話にリンクするなぁと。現実の日々はそんなにお話が理路整然と進むわけではなく、あっちとこっちが同時に存在して、今の状況の答えが次の瞬間に計算機のように出てくるわけではないですもんね。

なのでこのドラマを「どんな話だったか」とか「何がテーマだったか」とか説明しようとしてもできない。大豆田とわ子という人の日々の話です。ときどき事件が起こります。まぁ誰にでも起こりそうなやつです。くらいの説明しかできない。

でもそんなものを作って退屈させずに見せるっていうのが本当にすごいというかお見事ですよね。何を見せて何を見せないか、どうやって取捨選択したらあんな面白くなるんだろう。必要じゃないというか意味がないように見えるシーンもたくさんあったし(でもそれでも面白いんだな)。本当に不思議なドラマでした。

 

ただまぁやっぱり大きなテーマは「人を愛することと愛されること」だったのかなと思います。

 

7話の感想で「とわ子が一番好きなのはかごめなんだろうなぁ」と書いたんですが、つき子さんと真さんの関係もそうだったんだろうな。恋愛とか友情とかそういうものを全部ひっくるめてっていうか、超越してっていうか、そういう「好き」で「愛してる」。恋愛で一番好きなのは八作で、それも包括して一番好きなのがかごめ。だったんじゃないかな、と。

そして「かごめが一番好き」「マーが一番好き」と「唄ちゃんを一番愛してる」と「とわ子を一番愛してる」は両立するんだよなぁ。別枠っていうか。

自分がそうやって唄ちゃんを愛してることは分かっていても、それでも親から愛されてたのかどうかは不安になるよね。お父さんは出て行っちゃったわけだし、両親から捨てられてたなんて辛すぎるから。

 

でもお母さんが義務とかそんなんではなくちゃんと愛してとわ子を選んだことが分かり(最初からとわ子を捨てる選択肢はなかったと思うけど。願望があることと選択肢に入れることとはまた違う)、お父さんもお父さんなりに自分を愛してくれてることが分かって、やっととわ子は本当に救われたんだろうな。

 

とわ子は愛するのは上手いけど愛されるのは上手くない方だと思います。シンシンが「僕たちは大豆田とわ子に甘えすぎてたんです」って言ってたけど、まさにそれですよね。お父さんとお母さんから愛されてた自信がなかったからなのかな。でも今回ちゃんと両親からの愛情を感じることができて本当に良かったと思う。

愛されるというのは決して依存することではなくて、例えば「君のことが好きだよ」ってワチャワチャ言ってる3人の元夫と時々会ったり会わなかったりしながら一緒の時間を楽しむ、みたいなことでいいんだろうと思います。自分を受け入れて好きだと言ってくれる存在との時間はとても大切。それぞれが自立しててもそうやって一緒に支えあうことはできる。

 

みんな、ずっと一緒にどこかで楽しくやっててほしいなぁ。

 

いいドラマだった。

 

寂し。